南関町役場側に、南関御茶屋(御客屋)跡があります。嘉永3年(1850)8月に起工し、嘉永5年(1852)正月に完成した、藩主が参勤交代や領内巡視の際に休憩、宿泊をおこなった所になります。
この建物の鬼瓦や釘隠しには、細川家九曜紋が使用され、利用者は、細川藩主、相良藩主、島津藩主等当時の大名達の名が残されています。
現在、九州では唯一現存している御茶屋であり、廃藩置県後には民家や料亭として利用されてきました。
南関町は、かの北原白秋の母親の出身地ということもあり、北原白秋が来町の折には、ここで歓迎会も開催されています。平成15年8月に国指定史跡となり、同年に保存工事着工、平成16年度末、往時の姿を取り戻しています。
また、ここ南関町は、大変歴史豊かな町で、「南関富士」と呼ばれる大津山には、公家の流れを組む大津山氏が山城を築き、鷹ノ原城が築かれるまでの200年間堅固な要塞としてその役割を担ってきました。
大津山麓には、太閤豊臣秀吉が島津征伐で下向した折に、麓の湧き水でお茶を飲まれた記録が残っています。
現在も水が湧き出していて、「太閤水」と呼ばれる湧水地として、地元の人々に親しまれています。