三池炭鉱は文明元年(1469年)に発見されたという伝承があります。柳川藩家老の小野氏が享保6年(1721年)から掘り始め、主に瀬戸内地方の製塩用燃料として販売されたという記録が残っています。
明治初期に政府直轄となり、わが国最大の炭鉱へと飛躍・発展していきますが、明治22年に払い下げられ、三井組が経営を引き継ぎました。万田坑は、三井の総力を挙げて整備されたわが国最大規模の竪坑で、大正期から昭和前期に活躍しました。
昭和26年、採炭効率が低下したために採炭を中止し、第一竪坑などの諸施設が解体されましたが、その後も第二竪坑は揚水や坑内管理のため、平成9年3月まで施設が維持されていました。
そして、三井三池炭鉱は平成9年3月閉山し、三井経営108年、官営時からは124年という近代炭鉱としての長い歴史に幕を下ろしました。
現在は、第二竪坑・ヤグラ、巻揚機室、倉庫及びポンプ室、安全燈室及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設などが保存されています。これらは、わが国の近代化に大きな役割を果たした三池炭鉱に現存する明治・大正期における最大級の施設であり、当時の優れた炭鉱の技術を伝えているため、平成10年5月1日、国の重要文化財に指定されました。
また第一竪坑跡、汽罐場跡、坑内トロッコ軌条、職場、プラットホーム等が遺存し、炭鉱のシステム(採炭、選炭、運炭)が分かるため、炭鉱施設としてはわが国では唯一、平成12年1月19日、国史跡として指定されました。