田中城跡(たなかじょうあと) 所在地:玉名郡和水町

田中城跡

戦国時代末期、肥後国衆の一人 和仁親実(わにちかざね)の居城です。天正15年(1587年)豊臣秀吉に肥後をまかせられた佐々成政の検地に抵抗し、肥後国衆一揆が起こりました。
田中城は、一揆最後の拠点のひとつで、秀吉が派遣した一万の大軍に対し、和仁氏、姉婿の辺春親行(へばるちかゆき)の兵約九百人が約100日たてこもり、辺春氏の裏切りによりついに落城したと伝えられています。
この田中城攻めの様子を描いた絵図が山口県で所蔵されており、貴重な資料となっています。
絵図には、田中城が柵や深い堀をめぐらした上、やぐらを立てて防備厳重であったことや攻撃軍が西に小早川秀包軍、南隣に安国寺恵瓊軍、北に鍋島直茂軍、南に立花宗茂軍が取り囲んでいたこと、攻撃の方向、軍中法度などが書き込まれています。
昭和六十一年(1986年)からの発掘調査により、田中城が非常に堅いまもりをなっていた実態が徐々に明らかになってきています。