友好国であった百済へ援軍を送っていた大和朝廷は、663年「白水江の戦い」で唐と新羅の連合軍に大敗しました。そのため、中大兄皇子は連合軍の報復と侵攻を恐れ、国家防衛の体制を整えました。九州には大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県)が造られ、食料や武器、兵士などを補給する支援基地として、百済の貴族の指導により鞠智城が築かれました。
「続日本紀」など、国の歴史書にも記載のある全国有数の重要遺跡として、平成16年2月27日国史跡に指定されています。
現在は、鼓楼(八角形建物)をはじめ、兵舎、板倉など、いくつもの建物が復元されており、散策ルートや築城時の役割などについて展示されている施設なども楽しめる史跡となっています。