南阿蘇村湧水群の一つで、現在もなお近隣の家々に飲料水として使用されている湧水になります。ここは阿蘇家の重臣・吉田主水頭(よしだもんどのかみ)が在城していたといわれおり、阿蘇家が矢部卿をあわせて支配した当時、位置的に大変重要な役割を果たしたといわれ、この地域一帯に修復野や馬場など、広大な土地を所有していました。
その吉田城の使用水を一手に引き受けていたのが汲場で、今でも岩間からきれいな水が毎分約5トンも湧き出ています。
南阿蘇村湧水群の一つで、現在もなお近隣の家々に飲料水として使用されている湧水になります。ここは阿蘇家の重臣・吉田主水頭(よしだもんどのかみ)が在城していたといわれおり、阿蘇家が矢部卿をあわせて支配した当時、位置的に大変重要な役割を果たしたといわれ、この地域一帯に修復野や馬場など、広大な土地を所有していました。
その吉田城の使用水を一手に引き受けていたのが汲場で、今でも岩間からきれいな水が毎分約5トンも湧き出ています。